日本三大祭のひとつ、大阪の天神祭に奉納する「2007日本国際ドラゴンボート選手権大会」を、7月15日(日)に大阪・大川の特設コースで開催します。
このドラゴンボート競漕は古代中国の春秋戦国時代に生まれ、2300年の長い歴史をもっていますが、昨今アジアを中心に欧米、豪、アフリカとドラゴンボート愛好家が広がっています。すでに50近い国と地域で国際大会が行われていますが、とくに一昨年マカオで開催された、「東アジア競技大会」では正式種目として採用されるなど、世界的な人気の高まりを見せています。まさに21世紀の水上スポーツといえるでしょう。
辰年の1988年(昭和63年)に大阪で生まれた日本国際ドラゴンボート選手権大会も本年で18回目を数え、我が国最大のドラゴンボートの祭典となっています。参加チームも国内では近畿圏はもちろんのこと九州・熊本から鳥取、東京と広域にわたり、また香港など海外チームも参加されます。
今回は、来年開催される第8回アジア選手権ペナン大会の日本代表最終選考会を兼ねており、国際的に重要な大会と位置付けられています。
更に、大会では天神祭美化運動に関連しクリーン・リバー・キャンペーンを行うほか、カンボジアの対人地雷被災者救済支援にも協力し、会場で参加者や応援の市民らにも募金を呼びかけます。ここで集まった浄財は、マラソンのメダリスト有森裕子氏が代表を務めるスポーツNPO法人「ハート・オブ・ゴールド」を通じて現地に贈ります。
以上のような趣旨の大会を成功させるためにも、大阪天満宮をはじめ、天神祭協賛会、各種団体、市民の方々のご理解とご支援を頂きながら大会を開催しております。つきましては関係各位のご協力をお願いいたします。 |
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大会テーマ |
☆クリーン・リバー・キャンペーン
大阪天満宮が平成4年から進めている「ゴミのない天神祭」に協力して、大会事務局でもドラゴンボート・レースの会場となる桜之宮公園周辺と、会場で参加選手や見物の市民らにゴミ追放を呼びかけるとともに、選手や大会のスタッフが一体となって、会場周辺の清掃を続けます。
また7月は「河川愛護月間」でもあり、大阪府土木部などが積極的に「川を大切にして下さい」とPRしております。この大会でも、こうした呼びかけを積極的にお手伝いしたいと思います。 |
☆カンボジア対人地雷被災者救援支援
カンボジアは今も内戦の後遺症といえる対人地雷の被害があとを断たず、特に子供ら弱者に集中しているのが現状。こうした人達の義肢をつくる資金など、支援を今大会で進めるため、桜之宮会場で参加選手や応援の市民らに募金を呼びかけ、集まった浄財を、女子マラソンの有森裕子氏らが推進しているスポーツNPO「ハート・オブ・ゴールド」を通じて、カンボジアへ贈る計画です。 |
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第8回アジア選手権ペナン大会 |
1976年香港でドラゴンボート競技として始めての国際大会が開かれ、以後、欧州をはじめアメリカなど次々と国際大会が生まれた。ところが、龍舟の生まれたアジアでの開催が一番遅れ、ようやく94年、中国広東省で開催されたのがアジア選手権だった。翌年には、世界大会が行われ、隔年でアジア選手権と世界選手権大会が開かれるようになった。
2002年21世紀最初のアジア選手権が開かれたのは、相生ペーロンでお馴染みの兵庫県相生市。造船の町として一時4万人を超える人口だったが、現在は3万人と減少しており、町おこしを目指しての大会開催だった。
今大会では、東京大会での第一次選考会、相生大会での第二次選考会の後をうけ、来年9月にマレーシアのペナンで開かれる第8回アジア選手権の日本代表チームを選抜する。 |
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ドラゴンボートの起源 |
いまから2300年前の中国春秋戦国時代、楚の国を追放された詩人で政治家の屈原が、長江の泪羅江(べきらこう)で石を抱いて入水自殺した。民に親しまれていた屈原の行為に、農漁民は悲しみ、争うようにして舟を出し三日三晩捜したという。以来、この屈原の命日に当たる旧暦の5月5日には、舟を出して競漕する行事が長江周辺で定着し、龍舟のルーツとなった。 |
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競技としてのドラゴンボート |
中国の行事であった龍舟が東南アジア各国へ広がり、中国や台湾、香港などで龍舟を体験した欧米人も、それぞれの国に持ちかえって楽しみ始めたため、急速に世界に広がった。1976年、香港ではじめて国際的な競技としての大会、香港国際龍舟祭が開かれ、同時にIDBF(国際ドラゴンボート連盟、本部・香港)が結成されて、龍舟ブームに火が付いた。
欧州選手権をはじめ、世界5大陸の各ブロックで選手権大会が誕生していき、本場のアジアが後れをとるありさま。やっと94年にアジア選手権が生まれ、中国・湖南省で第1回大会が開かれた。続いて95年6月には同じ中国の岳陽市で14カ国が参加し、世界選手権が行われた。 |
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日本のドラゴンボート |
日本に龍舟が伝わったとされるのは1655年(明暦元年)。中国福建省の船が長崎に入ったものの、嵐で動くことができず、海神鎮めで手漕ぎ舟の競争をした。これが、長崎ペーロンのルーツといわれる。爬龍船レース、白龍レースとしていたのを発音がなまって“ペーロン”になったという。
沖縄のハーリーも同じように中国から持ち込まれたが、兵庫県相生市の相生ペーロンは大正時代に長崎からきた造船所の工員らが、長崎みやげとして根づかせ、今では全市を上げてのイベントになっている。 |
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現在のドラゴンボート |
こうした日本の和船形から、中国伝統の舟形へ戻したのが、1988年に大阪・大川で生まれた日本国際龍舟選手権の艇。香港で造られたグラスファイバー製のもので、太鼓の音と共に水しぶきをあげて走る様は、大阪の市民ばかりではなく多くの人が注目した。
琵琶湖のドラゴンカヌーや京都・久美浜のドラゴンボート、山梨・河口湖の大会などは、すべて大阪の大会をモデルにしてできた。また、東京でも95年から「東京ドラゴンボート大会」として東京みなと祭の協賛行事に組み入れられ、都民らに親しまれている。このほか、和歌山市や吹田市でも相次いで大会が生まれている。 |